
頑張って勉強して◯◯ができるようになった!
…でも不安が消えないのはなぜ?
自分にはこれが足りないから勉強しよう、もっと◯◯ができるようになれば自分を好きになれるかもしれない。
そうやって、本を読んだりツールの使い方を勉強したりしたものの、できるようになっても全然安心できない。
むしろ、不安は増えて「もっと知識がほしい」「もっとできるようにならなきゃ」と焦るばかり。
これって、外側に価値を求めているからかもしれない。
外の世界に価値を求めている


私は、在宅で仕事をするって決めた時、なんのスキルもありませんでした。
エクセルもワードも使えないし、パソコンのタイピングもめちゃくちゃ遅い。
それでもできることをしたい。
だから、できそうなことを試しました。(それがブログだった)
ブログを普通に書くだけでは人には読んでもらえないことがわかった私は、ライティングの勉強も始めました。(これはあんまり身につかなかった)
ライティングを勉強したあとは、セールスライティングの勉強も始めました(でもこれは売り込み感が強くて挫折)
結局、ライティングもセールスライティングも身につかないまま、勉強だけして満足。
ブログ以外にもできるようになったら、きっと可能性が広がるかもしれない。
そう思った私は、動画編集の勉強を始めました。
ある程度編集ができるようになったけど、まだ不安。
今度はゆっくりムービーメーカーでゆっくりムービーの作り方を勉強しました。
これもなんとなくできるようになったけど…
本当にこんなので大丈夫なの?
もっといろいろなことができるようにならないとダメなんじゃないの?
今度は本格的な編集ソフトでの動画編集の勉強を始めました。
簡単な編集はできるようになった。
だけど、こんな簡単な編集では他の人に埋もれてしまう。
映像を撮れるようにならなくちゃ、アニメーション制作もできるようにならなくちゃ…。
周りには私よりもすごい人がもっとたくさんいる。
こんなんじゃ、私はいつまで経っても認めてもらえない。
そんな感じでどんどん沼にはまり、お金を使いまくり、中途半端な器用貧乏みたいな感じになった。
全部中途半端なんです。
その頃に、心理セッションを受け始めたんですけど、そこで私はやっと気づいたんです。



これ、今のままだと一生終わりがないんだ
なぜスキルを身に着けても不安になるの?


子どもの頃から『ちゃんとできる子』じゃないと褒められなかった気がする。
失敗すると怒られることが多かったから、安心するには「ちゃんとできる自分」になるしかないと思ってた。
だから、スキルを増やせば安心できると思ってたのかもしれない。
「スキルがあれば安心できるはず」と思っていたのに、
実際にスキルを身につけても 「もっとすごくならなきゃ」 って不安が消えなかった。
スキルを増やせば、安心できるはずだった。
でも、不安は消えなかった。
じゃあ、安心ってどこにあるの?
本当は、外じゃなくて、自分の内側にあるのかもしれない。
でも私はずっと「もっとできるようにならなきゃ」って、外にばかり答えを求めてた。(まだ求めてる部分もあると思う。)
もっとスキルを増やせば、もっと知識を得れば、いつか安心できるって思ってた。
だけど、それって、どこまでいっても終わりがないようで。
「できること」を増やしても、「できていないこと」が目についてしまう。
そうじゃなくて、本当に必要だったのは、「私はこのままでいい」って思えることだったのかも。
だから、いくらスキルを増やしても「十分だ」とは思えなくて、どんどん次のスキルや資格に目が向いてしまうんだと思う。
◯◯をすれば、私は認めてもらえる(存在していても大丈夫)
私の考え方の根底には【認めてもらいたい】っていう願望があるのかも。



スキルをたくさん身につけても不安が消えないのは、スキルを身に着けても人に認めてもらえないかもしれないから?



その可能性は大いにあるよ。
「もっとすごくなれば、自分の価値を認めてもらえるかもしれない」っていう深い心理が関係してることが多い。
心理のセッションでも「頭で考えていることと、心で思っていることが違うのに、頭の方を優先にさせている」と言われたことがありました。
自分の本心を無視して「認められるために」だけ、行動してしまう。
だからずっと不安が消えないんだ、ということ。
私は資格は取っていなかったけど、「スキルを増やせば安心できる」と思ってた。
だけど、結果は同じだった。
- いくらスキルを増やしても、「私なんかまだまだ」と思う
- 新しいスキルに飛びついても、根本の不安は変わらない
- 「もっと頑張らなきゃ」って気持ちが消えなくて、ずっと焦ってる
これって、「スキル」や「資格」の問題じゃなくて、「自分は今のままじゃダメ」っていう気持ちが問題なんだ。
スキルを増やしても 「安心」じゃなくて次の不安が生まれちゃう。
【完璧になれないと安心できない】ってどこかで思ってしまっていたんだと思う。



だから疲弊しちゃってたんだ
完璧なんてどこにもないのにね
人に認められるために動くの?


人に認められるためにスキルを身に着けたり、資格をとってみたり、勉強をしても、それは全部「自分がどう思われるか?」を考えた結果の行動だから、「本当に自分がやりたいことではない」。
でも人に認められないと私には価値がないと思ってしまう。
だから、またスキルや資格に走っちゃう…という堂々巡り。



人に認められたくて色々やっちゃうのはどうしたらいいの?



自分で自分のことを認めてあげられるようになれればいいんじゃないかな。
人からの承認じゃなくて、自分で受容するんだよ。



最初は難しいと思うかもしれないけど、「私がこれがしたいんだ」と思うことに敏感になってみるとか。
自分がやろうとしていることが「自分のため?」「人のため?」と一度立ち止まってみるといいかもね
自分が本当にやりたいことなんて、全然わからないし、人に頼まれたら人のためにめっちゃやりたくなっちゃう。
これが本当の私なのか、人から認められたい私なのかの区別がついてない。
「やりたいことがわからない」って思うのは、「評価されることに慣れすぎて、本音を感じる余裕がない」からかもしれない。
「好きなことって何?」と聞かれると、「役に立つかどうか」ばかり考えてしまって、本当に好きなことが思いつかない。
「これをやったら役に立つ?」 って考えてしまう
「こんなことやって何になるの?」 って思ってしまう
「評価されないと、やる意味がない」 って感じてしまう
だから、「何が好きかもわからない」って思うのは、「好き」よりも「評価されるかどうか」が優先になっちゃってるのかも。
『評価されるためにやること』は、やらないと焦ってしまうもの。
『本当にやりたいこと』は、やってるだけで心が満たされるもの。
もし、何かを選ぶときに『やらなきゃ』って焦る気持ちが強かったら、それは本当の『やりたい』じゃないのかも。
よく、ビジネスの世界ではギバーとテイカーの話を聞いたりするけど、テイカーよりも不幸になるのは自己犠牲する人なんだって(自己犠牲型ギバー)。
『ギバー』っていうのは、人に与えるタイプの人のこと。
でも、自己犠牲しすぎるギバーは、周りのために頑張りすぎて、自分が消耗してしまうことが多いんだとか。(GIVE&TAKE「与える人」こそ成功する時代という本に、そのことが書かれてる。)
私も、人に頼まれると『やりたい!』って思っちゃうけど、それが本当に自分のやりたいことなのか、ただ認められたいだけなのか、わからなくなることがある。
たしかに、「誰かのため」と思って頑張ってるのに、自分が報われないとモヤモヤすることもあった(全部じゃないけど)
だからこそ、一度立ち止まって「私はこれを本当にやりたいのか?」って考えることが大事なんだと思う。
でも、「本当にやりたいこと」って、正直すぐにはわからなくて。
心理セッションで「自分が心から楽しいことを思い出してみて」って言われて、ふと出てきたのが、「子どもの頃に夢中になってたこと」 だった。
- マンガを読むのが好き
- 友達にお手紙を書くのが好き
- 空を見て雲の形を見るのが好き(ラピュタがいるかも!)
それって、「役に立つからやってた」んじゃなくて、ただ楽しかったからやってたはず。
でも、大人になると「そんなことして何になるの?」って思ってしまう。
役に立たないことをしてると、時間を無駄にしてる気がするし、「もっと成長しなきゃ!」って焦っちゃう。
だけど、「ただ楽しいからやる」ことが、自分を取り戻す鍵になるのかもしれない。
そう思ったら、「私、本当は何が好きなんだろう?」って、向き合い方が少し変わった気がする。



それっぽいことを言ってはみたものの、私もまだまだ。
今はまだできない部分もあるけど、多分できるようになるはず。
まとめ
「スキルを増やせば安心できる」って、違うんじゃないかな。
「今のままではダメ」って、本当なのかな?
全部思い込みなのかも。
もちろん、スキルを身につけること自体が悪いわけじゃないと思う。
でも、「もっとできるようにならなきゃ」って焦る気持ちの裏にあるのは、「今の私はダメ」っていう思い込み。
もし、その思い込みがなかったら、どんなふうに過ごせるんだろう?
「やらなきゃ」じゃなくて、「これをやってると楽しいな」で選べるとしたら?
もしかしたら、それが「自分を大切にする」ってことなのかも。



まだ忘れちゃうこともあるけど
私も意識して生きていく~!