感動系の映画が見られないのは「感情のフタ」を開けたくなかったからだった

感動系の映画が見られないのは緩徐のフタを開けたくなかったから
ちむ

おすすめの映画だから見てー!と言われても
感動系だと見るのが怖い

「歴史に残る名作」とか、「全米が泣いた」みたいな話題の映画って、本当に泣けるし感動するものが多いですよね。

「絶対みてほしい泣けるアニメ100選」みたいなネットの記事も、見たことあります。

私にも「感動したい」という気持ちが、ある。

だけど「感動すると現実に戻れなくなるかもしれない」という怖さのほうが勝って、いつも距離を置いてしまう。

で、それってどうしてなのか考えてみたんですが、「自分の本当の気持ちを知りたくなかったから」だと気づきました。

本当は「私も何かに心を動かされたい」と思ってるのに、それを認めるのがこわかったのかもしれない。

もくじ

感動するのが怖い理由を考えてみた

感動することって良いことって言われているし、私も感動したい。

でも、感動系の映画やアニメに関しては、どうしても距離をおいてしまう。

これまでは理由を深く考えたことがなかったけど、深堀りしてみたら何か見えるかも。

そんなことを思いつつ、なんで避けているのか理由を考えてピックアップしてみました。

  • 感動して泣くと疲れる
  • 感動して泣いてるのを見られたくない
  • 余韻がすごくてしばらく(数日~数週間)引きずる
  • 映画のことが頭から離れなくなり、現実が適当になる

感動したり、心を強く動かされる作品を見たあとは、寝ても覚めてもその作品のことが頭から離れなくなって…

思い出しては泣きそうになったりとか、生活しているときや仕事をしてるときに頭の中をぐるぐる回っていたりするんです。

私は平穏に日常生活を送りたいだけなのに、私の日常が平穏ではなくなってしまう。

音楽もしかりで、感動する音楽とか聞いてしまったら
その曲が頭から離れなくなって、飽きるまでリピートで聞き続けてしまうみたいなこともあります。

聞いている間は仕事も家事も手につかず。

もちろん、感動してもスッと日常に戻れる人もいると思う。

だけど私は、ちょっと引きずっちゃうタイプらしい。

戻れなくなるのが怖くて、感動したり心を動かす系のものからは自分から遠ざかっていました。

感動を避けていた理由は防衛反応?

いや、でも感動することは感性を磨いたり、表現力を鍛えたり、生活を豊かにしてくれるもの。

「なんでかわからないけど、感動したくない」

でも、できればその理由をちゃんと知りたいと思いました。

ちむ

感動するのが怖いのだけど、その理由ってなにかあるかな?
現実に戻ってこれなくなるというか、ずっと余韻を引きずってる状態で、現実感がなくなってしまう

ぽこ(ChatGPT])

感動するのが怖いって、実はすごく大切なサインを含んでると思うの。
「感動=心が揺さぶられる」ことで、感情のエネルギーが現実とのつながりを一時的に薄くしてしまうってことかも。
具体的にどんな感覚になるの?

ちむ

泣くと疲れるし、「あぁ、こんな世界もあるのか。私は日々の幸せを見過ごしてるな」とか、泣いている自分が恥ずかしいとか、何をやるにも映画や音楽を思い出してしまうとか

ぽこ(ChatGPT])

なるほど。
心の奥にしまってた何かまで一緒に揺さぶられちゃうから、しんどいと感じるのかもね。

ちむ

自分の気持ちに気づきたくないから、感動したくないってことなのかな?

ぽこ(ChatGPT])

うん。その問いはすごく本質的かも。
映画や音楽で感動したとき、もう戻れない過去や、届かなかった思い出、普段は閉じてる気持ちが開いちゃう瞬間が、感動にはあるんだよね。
心を守ろうとして感動することを避けてる可能性はある。

ChatGPTと話を深めていくと「私の中に開放したくない思いがあって、それを刺激されるから感動したくないのでは?」って思いました。

感動すると、隠したい部分が出てきてしまう。

だから感動するのが怖い。

感動は、自分の中の本音を映し出してくるから

「本当はこうしたい」
「こんな自分でいたかった」
「私にはこんな世界はこない」
「こんなに素晴らしいのに、感じきれていない気がする」

って、比較や無力感につながることがあるんだって。

感動するのが怖いというのは、防衛反応なのかも。

たぶん私は、自分の心が大きく揺れるのがこわいんだと思う。

自分の気持ちにフタをしていて、そのフタが開いちゃうのが怖かったのかもしれないと思いました。

感じないようにしていた部分が、こういうところにも影響していたのかな。

感動とうまく付き合うには?

感動したくないのではなくて、感動したあとに「現実に戻れなくなる」のがしんどかった。

でも、それは防衛反応かもしれない。

感動することは悪いことじゃない。

だから良く考えた結果、工夫すれば感動する映画も見れるようになるんじゃないかなと思いました。

ちょうど人と話す機会があったので、映画で感動したくないことと感動したくない理由を話してみたら「それならアウトプットしてみたら?」とアドバイスをもらいました。

アウトプットすることで、自分の頭の中を整理できたり、何がそんなに心を動かしたのかが見えてくるんだって。

だからアウトプットすれば感情に飲み込まれずに、感動を自分のものにできるのかもしれない。

一人で「私は感動映画は見れない人だ」と決めつけていたけど、周りに話してみたら、あっさり解決策を提示してもらえました。

とっても感謝。

そういえば、『「好き」を言語化する技術』という本を読んだことがあって、その中に書かれていたことがここで役に立ちそうだと思いました。

好きを言語化する技術では、「どこがどう好きなのかを深堀りしていく」方法などが書かれています。

言語化するというのは、深堀りしていくことなんだなと改めて感じました。

ちむ

アウトプットを前提に、感動する作品も見てみようかと考え中
(まだちょっと怖いけど)

まとめ

「感動するのが怖い」と感じていたのは、その裏に、ちゃんと理由があったんだなって思います。

心が揺さぶられることで、自分の中に閉じ込めていた気持ちが顔を出してくる。

そのときに感じる疲れや、無力感、比較。

でもそれは、自分を守ろうとしてる反応なのかも。

だからこれからは、ただ感情に飲まれるんじゃなくて、感じたことを言葉にしてみることで、自分のものにしていけたらいいなと思います。

まだできるかわからないけどね…(汗)

ゆっくりやっていけたらいいなと考え中。

感動は、怖くても、悪者じゃない。

むしろ、大切な気づきを教えてくれるものなんだなって思えました。

ちむ

そんなかんじで、今日も生きてます

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