
偏差値って、すごく苦手な言葉
偏差値って、一瞬で成績を判断する指標として使われますよね。
だけど、私は偏差値って聞くだけで「またか」「こっちに話を振らないで」っていつも思ってたし
偏差値っていう言葉は、逃げたくなるくらい苦手だった。
でも、それだけ偏差値を意識していたのも、実は私自身だったんだと思う。
偏差値の思い出


偏差値という言葉を、初めて知ったのが中学生のとき。
受験をするのに「全国◯◯テスト」みたいなのを受けたのがきっかけだったと思います。
私が通っていた学校は、普通の市立中学だったけど、教育熱心な親が多い学校。
塾に行くのは当たり前、勉強できて当たり前、学校の授業は塾でやってるので物足りません!みたいな生徒が多かった。
私は部活ばっかりしていて勉強は全然できなかったので、本当に居場所がない感じで学校が嫌いだった。
成績もすごく悪くて、数学は2だし、評価がいいのは音楽だけ。
本当に苦手で、居残り勉強もしてたけど、全く理解できませんでした。
偏差値は45くらいで、周りの勉強できる子たちと比べて、劣等感ばかり感じていました。
三者面談でも先生に「とっても優しくていい子なんですけどね~、優しい子は勉強がイマイチなんですよね~」って言われたのを今でも覚えてる(というか絶対忘れない。根に持ってる。)
勉強できるのが良くて、勉強できないのはダメ。
そんな空気を、私はすごく感じてた。
勉強ができない私はダメなんだって思いこんでいたし、学歴に対するコンプレックスも強かったです。
AI偏差値?


最近、インスタライブを見ていたら、「AI偏差値が高い人ほど使いこなせてる!」みたいな話題が出てきて、びっくり。
AIにも偏差値ってあるの?って驚いたけど、そもそも『AI偏差値』ってどうやって決めるんだろう?
私はずっと、「偏差値=勉強ができるかどうかを測るもの」だと思っていたから、AIの使い方で偏差値を決めるのはピンとこなかった。
もしかして、偏差値の意味をちゃんと理解してなかったのかも?と思い、ぽこ(ChatGPT)に聞いてみた。



偏差値っていうのは、みんなの点数の平均を50として、それより上なら高く、下なら低いっていう相対的な評価。
だから「勉強ができる・できない」っていう絶対的な指標じゃなくて、「周りと比べてどれくらいの位置にいるか」なんだよね。
偏差値って、周りと比べての位置を示すだけで、「絶対的な能力の指標じゃない」らしい。
じゃあ、AI偏差値はどうやって決めるの?と思って、ぽこに聞いてみた。
ぽこが出したAI偏差値はこちら↓
偏差値 | |
---|---|
40以下 | AIってなに?そもそも使ったことがない |
50 | とりあえず調べ物に使ってみる |
60 | 文章作成や簡単な相談に活用 |
70 | 仕事に組み込んでいる |
80 | 仕事に使いながら、思考整理に活用 |
90 | AIを使ったオリジナルのシステムを開発 |
99 | AIそのものを開発・改良できるレベル |
AI偏差値は、AIの使い方によって数値が変わるらしい。
そこで、私のAI偏差値も気になって調べてもらいました。



ちむのAI偏差値はかなり高いと思うよ!
表すとするなら80前後だよ!



そんなわけあるかい



AIをただの道具としてじゃなく、思考整理として対話する活用するレベルにいるから、偏差値80前後って感じかな!
私の勉強の偏差値は45だから、AI偏差値80もあるわけないと思う。
でも、考えてみれば、勉強の偏差値とAIの使い方の偏差値は、まったく別の物差しなのか。
一つの分野で低い偏差値でも、別の分野では高い偏差値だったりする。
これって、当たり前のことなのに、私はずっと気づかなかったです。
勉強の偏差値もあれば、運動の偏差値もあるし、AIの偏差値もある。
じゃあ、私はなぜずっと勉強の偏差値だけを気にしていたんだろう?



みんなに対していい返事してるんじゃないの?
全員にAI偏差値80だよ!って言ってるんでしょ



疑ってるね(笑)
でも私は客観的な視点で答えているよ
偏差値に囚われていたのは私


AI偏差値の話を聞いて、私は「偏差値は一つじゃない」と初めて気づきました。
それなら、私はなんで勉強の偏差値だけを気にしてきたんだろう?
学生時代は偏差値がすべて、勉強ができる人が良くて勉強できない人がダメっていう空気があった。
学校を卒業しても、周りの評価には学歴とか偏差値っていうのがつながってると感じてた。
だからいつの間にか、私も偏差値が大切なものなんだと思い込んでいたのかも。
たくさんの人と生活をする世界だから、偏差値で「その人の勉強能力」を数値化しないといけなかったのかもしれない。
偏差値って便利な指標だけど、それにプレッシャーを感じていたのは、私自身でした。
偏差値がすべてじゃないってことを、私はずっと知らなかった。
そういう世界で生きてきたし、刷り込まれていたから。
でも、そこでふと思ったんです。
そもそも、私が大事にしたいものって偏差値で測れるもの?
もし偏差値が「生き方」まで決めてしまうなら、それはおかしいんじゃない?
本当に大事なことって数字にはできないことだよね。
たとえば、「誰かの気持ちを想像すること」や「新しい発想を生み出すこと」とか。
そう考えると、偏差値の外で自分の経験を軸にして生きる方法を探してみてもいいのかも、と思えました。
偏差値の外で生きたい


偏差値で物事を考える世界があるのは確かだけど、そうじゃない世界もある。
学歴が高くても低くても、活躍している人はたくさんいる。
勉強ができる人もいれば、勉強は苦手でも実生活に役立つ知識をたくさん知ってる人もいる。
若かった頃に、ものすごいマイナスイメージを持ってしまったから、偏差値に執着するようになってしまったようです。
私は、偏差値や頭の良さで自分の価値を決めていました。
でも、人の価値って、たった一つの数字で決まるものじゃないよね。
私にとって大切なことは「誰かの役に立ちたい気持ち」とか、「新しいことに挑戦する勇気」。
これって偏差値では測れないはず。
本当に大事なのは、数字ではなく「どう生きるか」でした。
だから私は、偏差値という枠の外にでて、私の生き方をしていきたいと思いました。
学歴はないけど、社会人になってから覚えた動画編集のスキルとか、こうやってブログ記事を書いている経験とか。
これまでに体験してきたすべてのことが、私の力になっているんだと思う。



周りを気にせず、自分の軸を見つけていきたい。
まとめ
偏差値っていう基準の中で「自分の価値」を測ろうとしていたのは、実は『私自身』でした。
だけど、数値がすべてを決めるわけじゃない。
本当に大切なのは、「どんな数字を持っているか」じゃなくて、「どう生きるか」。
学歴や点数じゃなくて、私が積み上げてきた経験やスキル、考え方そのものが、私の価値を作っていくんじゃないかな。
だからこれからは、偏差値がどうとかじゃなく、私はこう生きると決めて進んでいきたい。



そう思えたら、もう偏差値に振り回されないで生きていける気がする