人の目が気になるのは、母に認められたいからだった

人の目が気になるのは、母に認められたいからだった
ちむ

人に認められないと怖い
人に受け入れてもらうにはちゃんとしなきゃ

人の目、気になるタイプですか?

私は「人の目ばかりを気にして生きてきた」人です。

常に人からどう思われるか?を考えて生活しています。

なんでこんなに人の目を気にするようになったのか。

掘り下げてみたら「母親に認められたい自分」がいることに気づきました。

今回は、その気づきから見えてきたことを、まとめてみました。

もくじ

人のためには頑張れる

握手

いつから「人の目を気にする」人間になったのかは覚えてない。

だけど、思い返してみると、幼稚園の頃にはすでに周りの目を気にして生活してたなぁっていう記憶はある。

  • 褒められたい
  • すごいと言われたい

私の行動の原動力は「認めてもらいたい、だからやる」がほぼ全てだったと思う。

「あなたは優しいね」と言われてたから、優しければ認められると思って、たくさん人に優しくするようになった。

「◯◯できてすごいね」と言われたら、できる私は認められると思って必死に練習した。

小学生の時、冬の水拭き雑巾がけは手が冷たすぎて誰もやりたがらないから、私は率先してやった。

「冷たいのに頑張って掃除してて偉いね」って先生に言われたいから、めちゃくちゃ冷たくて手が痛いけど我慢してやってた。

(今思うと、相当な自己犠牲精神)

人に頼まれたことは基本的に断らない(断れない)

ずっと受け身。

求められることをやってきた。

そうすれば、私は褒めてもらえる、認めてもらえる、そんな気持ちがどこかにあったんだと思う。

自分のためには頑張れないけど、人のためには頑張れる人間で生きてきた。

母に認められたい

「人に認められたい」って思いは、ずーっと私の中にあって、アラフォーになった今でも変わってない。

でも、最近になって「どうしてこんなに人に認められたい?」「何者かでなければならないと思う?」って深堀りする機会があって。

そこで、見えてきたのが「人に認められたい=母に認められたい」ということでした。

母と離れて暮らして15年以上経つのに、結婚して自分の家庭を持つ身なのに、もうアラフォーなのに。

まだ母親の影響を受けてました。

母親に気にいられるために、無意識に自己犠牲をしてきたみたいです。

なんで気づいたのかっていうと、心理セッションのおかげなんだけど、初めて「お母さんに認めてほしかったんだね」って言われたとき、何も感じないのに涙がぶわーっと出てきてびっくりしました。

母に受け入れてもらいたくて◯◯をする
母に喜んでもらいたくて◯◯をする
母を怒らせないためにやりたくないことをする
母に存在を認めてもらいたくて言うことを聞く

こういう生活をしているうちに、「母(人)の言うことは絶対だし、求められることをしなければ生きていけない」と、勝手に自分で思い込んでいたようです。

好きだよって言ってほしかった

私は親に「あなたはそのままでいいよ」「大好きだよ」って言われたかった。

ただそれだけ。

だけど、私が求めても母は絶対に「大好きだよ」って言ってくれなかった。

なんでそんなこと聞くの?気持ち悪い。

◯◯できないなんてほんとダメな子

そんなことしか言ってくれなかった。

違うよ。

私はただ「大好きだよ」って言ってほしかっただけなんだよ。

その気持ちに気づいたとき、私の中の母の存在の大きさを改めて感じました。

今も、この記事書きながら泣いてる。

諦めが拗ねに変わってた

こたつ

私は、今も母に「大好きだよ」と言われるために、人の顔色を伺い、人のために働き、認められるために行動してる。

母に気を使って生きてきたから、本音を言えなかったんだと思う。

そして、無意識に「どうせ私なんて誰にも理解されない」っていう諦めに変わり、その諦めが拗ねになってこじらせていったのかなって思った。

私のことなんて誰も認めてくれない。

だから、私は自分がやりたくないこともやって認めてもらうしかない。

でも本当はそんなことするのがイヤ。

だけどそうしないと生きていけない。

一人になるのが怖い。

人に認められないと孤独になってしまう。

誰も私のことなんて大事じゃないんだ。

利用価値がある私じゃないと、私は意味がないんだ。

っていう拗ね。(無限ループ)

こうやって、「かわいそうな私」を演出して、周りはみんな敵認定して、一人で被害者みたいになってた。

その裏には「母に受け入れてほしい」という思いがあっただけだった。

「認められない現実」がツライから、「演じることで守ってた」んだろうな。

愛ってなんだ

焦る

そこまでわかったとき、心理セッションで教えてもらったのは「母親にも愛はあったんだよ」っていう話。

例えば、母は私に対して◆型の愛を渡してくれていたとして、でも私が欲しかったのは☆型の愛だったら?

ピッタリハマらない愛だから、私は愛をもらってないと思い込む。

母は愛をくれているのに、私が受け取れていないだけ、ということになる。

母は本当に私のことをどうでもいいと思っていたのだろうか?

ただ、愛し方が下手だっただけなんじゃないか?

そんな視点をいただいた。

私は「愛」ってなに?ってタイプで。

心理セッションでこの話を聞いた時、話してくれている内容に対しては理解できた。

でも、愛と言われても良くわからなかったから、あんまりピンとこなかった。

そんなときに、たまたま読んだ「ナリ心理学」のブログ。

このブログには「母親に気を使って生きてきたひとは『愛』や『幸せ』がよくわからなくなっている」ということが書かれてた。

親に気を使わないと「捨てられる。怒られる。嫌われる。孤独になる」

だから、気を使わないと愛されないと思ってるってこと。

気を使わずに生きるには「今のままの自分でもいい」って思えることが大事。

今のままの自分でいいって思えるようになるには、母との関係を精算して終わらせるのが重要

母親のことを最低だと思っていると「最低な母から生まれた私も最低だ」と思ってしまう。

そして、私はダメじゃない!と反発してしまう人ほど、心が傷ついている。

ってことが書いてあった。(私の解釈だから違う部分があるかもしれないけど)

私は、親に気を使って愛されようとしてきたってことなんだなって、ナリ心理学のブログを読んでちょっとだけ腑に落ちた。

心理セッションの先生が教えてくれた「◆型の愛と☆型の愛の話」も、ナリ心理学の記事を読んで、理解が深まった感じがしました。

発散って重要らしい

ナリ心理学のブログを他にもたくさん読んだり、心理セッションの先生のアドバイスを受けて、感情の発散をすることが大事ってことを知りました。

心理セッションの先生に「あなたはお母さんに悲しいよって気持ちと、なんでわかってくれないの?っていう怒りがあるんじゃないかな?」と言われても、しっくりこなかった。

別に何も感じないんですけど…って感じで。

でも、それって「ただ、感じないようにしていた」だけだったみたい。

実を言うと、初めて精神科+カウンセリングを受けたとき、心理士の先生が紙とペンを持ってきて、

「『お母さんなんか◯ねばいいのに』って書いてください」って私に言ってきたことがある。

私はそんなこと書きたくなかった。

そんなことを書いたら、母が本当にいなくなっちゃうと思った。

でも書かないとダメって言われたから書いた。

「紙に文字を書いただけではお母さんは◯なないんだよ」って心理士の先生は言った。

意味がわからなかった。

しかも、その紙を持ち帰るように言われて、見つからないように自分の机の引き出しに入れていたのに

何故か母が見てしまって「あんたにそんなこと思われてるなんてお母さんショックだった!」って怒られて。

「なんであんなこと書いちゃったんだろう、なんで、心理士の先生はあんなこと書けって言ったんだろう」って後悔みたいな気持ちをずっと抱えてた。

だから、そういうのは書きたくなかったというのが本音。

今思えば、子どものプライバシーを無視するような親だってことだし、心理士の先生は私の本当の気持ちに気づかせるためにあの言葉を書かせたのかもしれない。

でも、あのときと今は違う。

母に見られることはない状況だし、なんでもいいからやってみようと思った。

「◯ね!ふざけんな!クソばばあ!」って書いてみた。

そしたら、母親に対する悲しい気持ちがぶわーーーって出てきて。

手が追いつかないくらい、頭の中に言葉が溢れた。

そして、気づいたら自分でも読めない新種の文字を生成していた。

ノートに生成した新種の文字
読めるところも一部ある(笑)

この文字で5ページほどガガガーっと書けちゃった。(ジェットストリーム0.7の書き心地よすぎた)

私って、こんなに母に対して悲しんでたんだ、怒ってたんだ…ってびっくりもした。

このノートを続けていくことで、母に対する気持ちや自分に対する気持ちが変わってくるみたいなので、まだ慣れないけどもうちょっ続けてみようと思ってます。

親への感情を精算したら「親も親でそうなるしかなかったんだな」とか「親もそうやって育ってきたんだな」とか「親のせいではないし、私はそのままでいいんだ」と思えるようになるのかもしれない。

「実は親から愛はもらってた、私には伝わらなかっただけ」ということが本当の意味で腑に落ちたら、なんかちょっと見える世界が変わるような気がする。

そんなに書ける気がしない!って思うかもしれない。(私も思った)

でも、とりあえずやってみたら書けちゃったんです…(笑)

できるかできないかわからないけど、「とりあえず一回やってみた」ら、わかったことが大きかったです。

※ナリ心理学では感情を吐き出すノートのことを「クソノート」と呼ぶそうです(笑)
ナリ心理学公式ブログのクソノートの記事はこちら→「クソノートやろうぜ!!!

ちむ

クソノートってすごい名前だよね

まとめ

私は親にずっと「そのままで大好きだよ」って言われたかった。

そのために一生懸命やってきたことが、今の私を作っているのは間違いない。

多分、親は私のことを大切には思ってたんだと思う。

だけど、それがうまく伝わらなかったり、私もうまく伝えられなかったりして、すれ違ったのかな。

もっと早く気づきたかったなって思うけど、今気付いただけでも良かったのかもね。

もし、今苦しい気持ちがあるとしたら、その苦しみはどこから来てるのかな?

少しだけ深堀りしてみると、ヒントが見つかるかも。

私もまだまだだけどね。

ちむ

そんな感じで、今日もノートを書きます

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