
神のお告げ…!?
日常で起こるできごとって、ただの偶然?
それとも「意味がある」もの?
私たちの日常には、いろんなできごとが起こるけど、ただのできごととして流すか、「何か意味があるかも?」と考えるかで、感じ方が変わる気がする。
そんなことを考える、きっかけになったできごとがありました。
なぜ黒い車は動かなかった?


これは、前回の記事 「思考停止してるかも?と考えた話」 でも書いたこと。
ある日、家の裏の一方通行の道路で、クラクションが鳴り止まないできごとがありました。
道幅が狭い道路に路駐してある車と、その後ろでクラクションを鳴らし続ける黒い車。(20分以上鳴らしてた)
「なんで黒い車はバックして別の道にいかない?」
「引き返せばいいのに、なぜその道だけを通ろうとするの?」
と、考えたんですよね。
そして、「選択肢があるのに、思考停止してしまうことってあるのかも」と気づいた。
クラクションの意味を考える


この話を、心理セッションを受けている方に話してみたら、思いがけないことを言われました。
それは、ちむさんに「自分の道を貫け」っていうメッセージだったのかも
そんな見かたは全くしていなかったので、目からウロコでした。
言われてみると、確かに私は人の意見に流されやすかったり、このやり方でいいのかな?と迷うことが多い。
自分でこうしたい!と思っていても、結局最後には人の影響を受けて不安になってしまう。
だから、黒い車がずっとクラクションを鳴らし続けていたのは、私に「この道を行け!」という強い意志を持つことの大切さを伝えていたのかもしれない。
応援される道もあった?


さらに、こんなことも言われました。
その黒い車が、みんなに応援されながら通る方法はなかったのかな?
…たしかに、そういう考え方もできる。
私はずっと「クラクションを鳴らし続ける黒い車が考えを変えればいい」と思ってました。
でも、視点を変えてみると、「黒い車がどうすれば前に進めたのか?」という考え方もできた。
例えば
- クラクションを鳴らし続けるのではなく、近くの人に助けを求める
- 周りの車が協力して、どうすればいいのかを一緒に考える
もしもそんな行動ができていたら、ただの「迷惑な車」じゃなくて、みんなで乗り越えるできごとになっていたのかも。
視点を増やすと変わる世界


前回の記事でも書いたけど
私は、「私の立場からの視点」「黒い車の運転手の視点」「路駐していた車の視点」では考えていました。
黒い車の運転手がもっと柔軟に考えたらよかったのに、とも思っていました。
でも、違う視点で見てみると、「どうしてもこの道を通る!」という意志の強さがあったのかもしれない。
それって、ただの頑固さじゃなくて、「自分の決めた道を貫く強さ」だったのかも?
さらに、周りの協力を得る選択をしていたら、新しい道も作れたかもしれない。
その『できごと』自体が私にとってのメッセージになっている可能性は、全く考えていませんでした。
私たちに起こる日々のできごとが、何かを伝えようとして起きているとしたら。
私はどう捉えたいのか?
このできごとから何を学べるのか?
そんなふうに考えると、日常のできごとが、ただのできごとじゃなくなるんだなって思いました。



これぞ、多角的な視点…!
これから意識してみたいこと


何かが起こった時「このできごとは私へのどんなメッセージかな?」と考えてみる。
いやいや、意味なんてなくそのできごとが起きただけでしょ。
って言われたらそれまでなんだけど
どんな捉え方(解釈)もできるんだったら、いろいろな可能性も見ていきたなぁって思いました。
これからは、何かが起こったときに「ただのできごと」じゃなくて
「このできごとは私にとってどんな意味があるんだろう?」と考えてみたい。
そうすると、日常のできごとが「学び」や「ヒント」に変わるかも。



どんなできごとにも、自分次第で意味を見つけられるはず。