ダメかダメじゃないかの二択の世界で生きてた話

ダメかダメじゃないかの世界で生きてた話。
ちむ

あの人の発言、なんかモヤっとする~
やな感じ~

SNSを見ていたとき、ある人の投稿にモヤっとした。

特別ひどい内容じゃないし、そんなに気にする部分じゃないと思いつつも、なぜかすごく引っかかった。

でも、自分に向き合う(自分を知る)ということは、『良くわからない感情に気づくこと』でもある気がした。

なんでこんなにモヤッとするのか、自分でもよくわからない。

ChatGPTに話してみたり、心理セッションを受けてみたりして、少しずつ掘り下げていったら原因がわかりました。

私はずっと「ダメ」か「ダメじゃない」かの二択しかない状態で、世界を見ていたんです。

もくじ

人にもモヤッとするのは自分をジャッジしてるから

こたつ

人間が人にもやっとするときって、人に対して自分と似ている部分を投影していることが多いんだって。

投影っていうのは心理学の用語で、自分の嫌な部分を人を通じて見ているってことらしい。

ということは、私がモヤっとするときは「相手に対して自分の嫌なところを見ている」ということでもある。

私は、人に対して結構厳しい目で見ている傾向があって、もちろん自分に対しても厳しい部分がある。

なんでモヤモヤしちゃうのか、深堀り深堀り深堀り…していった結果。

私は人を見下している。
※人を見下すということは、自分を見下しているということにもなるそうだ。

もちろん、そんなつもりはないです。

モヤっとしただけで、嫌いだと思ったわけでもない。

人を見下しているなんて、一番やりたくないことだしね。

でも、心のどこかで

「ああいう考え方はどうなのかな」とか、
「なんでそんなことするんだろう。変なの」
って、

無意識に人を下げている自分がいた。

これは、心理セッションがなければ気付けなかった。

「人を見下してるなんて最低じゃん…」ってすごくショックだったけど、でもよーく自分を観察してみると、確かにそうだったんだと思う。

相手に対して感じた違和感やイライラって、実は自分の中にもある「許せない部分」だったりするんだって。

人の中に見る「嫌だな」って思う部分は、自分の中にもある「まだ認めきれてない部分」なんだって。

投影ってそういう仕組みらしい。

そう考えると、あのモヤモヤは、相手が悪いわけじゃなくて、私自身が抱えていたものでした。

そしてその根っこには、

「できないのはダメ」「ちゃんとしてないとダメ」

っていう、自分で作り上げたジャッジがあった。
(ジャッジというのは「判定」とか「決めつけ」みたいな意味合い)

ちむ

私「ダメorダメじゃない」の二択の世界で生きてる

ダメorダメじゃないで世界を見てた

  • ◯◯できてるからダメじゃない、◯◯できてないからダメ
  • ◯◯してるからダメじゃない、◯◯してるからダメ
  • ◯◯だからダメじゃない、◯◯だからダメ

といった感じで、私の世界には「OK」がないです。

全部「ダメ」か「それ以外(ダメじゃない)」でしか、世界を見ていなかった。

世界をジャッジした目線でしか見てなかった。

だから、人にも自分にも、無意識のうちにダメかダメじゃないかで判断してた。

できなければ、「私はダメなんだ」。
できても「いや、まだ完璧じゃないし」。

どっちの結果になっても、自分を認めない世界に生きてた。

そりゃ苦しくなるのは当たり前だよね~。

セルフで自分いじめをしてたみたいです。

根底にあるもの

かくれる

こういう考え方になったのは、親との間に作り上げてきた関わりが関係しているそう。

私の場合は親に対してのいろいろな願望があることが見えてきたんですが、今回の件は「何もできない私には価値がない」という気持ちが起こしているようでした。

『何も持ってない私はダメ』
『何もできない私はダメ』
『空っぽの私はダメ』

何かを持っていることで、私には価値があるんだと無意識に思い込んできたみたいなんですね。

人から、「あの人はダメだね。何もできないね」って言われるのが怖くて、自分に対してもどんどん厳しくなってた。

あれもこれも、勉強してできるようになれば、私はダメじゃないはず、って無意識に思ってたんだと思う。

「ダメな自分はダメ」=「ダメな人間はすべてダメ」

という、価値観を勝手に作り上げてたんです。

親との関係をうまく精算して、先に進みたいと本当に思う毎日。
自分が進むために、割と真剣に心理学を学びたいと思ってる。

これは何もない自分を埋めるためではなく、自分の人生を良くしたいという思いから出てきた思い。

0か100の世界を終わらせるには

出る

ここまで気づいちゃって、軽く絶望しました。

私、性格悪くね?って。

世の中の人達を見下していたことに気づいただけでもかなりショックだったのに、さらに自分自身を見下して攻撃してることにもつながってた。

でも、気づけたのは大きな一歩でもある。

すっと「ダメ」か「ダメじゃないか」の二択で生きてきたから、いきなり「どっちもOK」っていう考えにするのは難しいと思う。

心理セッションでは

「OKかOKじゃない」で考えてみたら?
「OKじゃなくても、そのうちOKになる」ってゆるく思ってみる。
「OKは10点でも30点でも80点でもOK」って考えてみる。

まだダメしかない世界で生きていくの?笑
世界は自分で作っていけるんだよ!

って言われました。

私はいつも0点か100点でものを見ていたので、0点と100の間にはグラデーションがあるんだよ、ということを教えてもらった感じです。

ぶっちゃけ、やっぱりすぐにそう考えるのは大変そう。(なんせ、数十年もこの考え方をしてきたので)

だけど、「あ、今、ダメかダメじゃないで目の前のことを見てた」ってメタ認知できるようになってきた部分もある。

気づくことができれば
「これはOK?OKじゃない?」って自分に問いかけることができる。

もう、この小さな積み重ねでしかないんだろうなと思う。

小さな積み重ねを続けていくことで、いつかそれが確信に変わって、

「ま、どっちでもいっか」

って思えるようになったらいいなぁって、思ってます。

ちむ

ま、どっちでもいっか
って素晴らしい考え方だったんだ

モヤッとしたときは自分を知るチャンス

モヤっとした感情って、ただのイヤなものじゃなくて、自分の中にある思い込みを見つけるためのきっかけでした。

モヤッとしたときに「なんで今モヤッとした?」って自分の考えを掘り下げていくことで、根っこにたどり着けるのかも。

すごく大変だし、うまくできないことだらけだけど、ちょっとずつ気がつけるようになっている自分を
少しずつ認めていきたいな。

0か100じゃなく、グラデーションを許せる世界で生きれるように練習中です。

ちむ

そんな感じで今日も生きてます

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